2012年2月18日土曜日

それは考えなくてよい(2)

前記事の続き。


安全指針の指針27に書かれた2つの文章は、考えてみるとおかしな表現である。
なぜなら、それは安全に対する配慮を、「考慮する必要はない」、「想定しなくてよい」 と否定する形だからだ。

安全増し設計というものがある。屋上にさらに屋を重ねるような安全確保のための重複設計の考え方だ。メインのパラシュートが開かなかったら、予備のパラシュートを使うというような重複設計の考え方だ。予備のパラシュートという存在は、平常時には、無駄といえば無駄。だけれども異常事態に対処する知恵なのだ。

原発の安全、とくに電源設備に対する配慮が、なぜ不要であると指針に書かねばならないのか。やはり理由が分からない。不思議というほかはない。設備コストに配慮した安全指針だったのだろうか。
国民や周辺国を危機に陥れるリスクを犯してまで、コストを重視したのだろうか。そもそも原発の安全をその程度で収めていて良しとしていたのか。

「君はそんなことまで考えなくてよい!」という叱責の言葉を、昔、組織の上の人間から浴びせられた経験がある。人間は考えるために頭脳があり、 その頭脳を使うなという言葉に、強い違和感を覚えたものだ。人間に考えるな!とはどういう意味なのだろう。考えすぎてはいけないという法律があるわけもなく、ようするに上の人間の痛いところを突くと大変なことになるぞ、という恫喝であったのだろう。

余計な安全施策を考えるな!という安全指針にある言葉、誰に向かって発せられた禁止事項だったのだろう。しみじみとその奇妙さと不可解さを味わっている。



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