2012年2月25日土曜日

希望的観測に安心したい

最悪の事態を直視したくない日本人の心性のことを以前書いた。この根っこにあるのは、事態にはやく安心したい、嫌なことから逃れたいという気持ちだ。

藤井厳喜さんの著書を読んでいて、なるほどと思った。
一部引用する。

「明治初期に来日し、日本の陸軍将校教育の基礎をつくったドイツ軍人メッケルは、日本人将校の欠点として、「希望的観測に依存しすぎる」ということを挙げている。これは日本民族固有の欠点であるらしい。」

藤井厳喜著『超大恐慌の時代』日本文芸社p.49

原発事故が発生した直後、正確な情報が少ない中、政府や東電からの情報は、事態は大したことではないとか、安全は保たれているというようなものが多かった、と記憶する。知りたいのは事実であって、政治家や利害がからむ関係者による「事実への評価」ではないと強く思ったものだ。

その気持ちは今でも変わらない。厳しい現実の技術情報や事実の報道を望んでいるのに、それにはほとんど触れずに、大丈夫ですから・・・となだめられている気がするのだ。そんな日本の姿勢は、海外の報道、政府、原発関係者から見れば、とんでもなく頼りなく写っているだろうと想像できる。コイツラハ事態が収拾できないのではないかと思われても仕方ないと感じる。

必要なのは正確な事実であり、データである。
それをどう評価するかではない。
まして事実が明らかにならないうちに(調べないうちに)、安心してくださいという希望的観測を聞きたいわけじゃない。

原子炉内の内部調査の続編はどうなっているのか。 また冷却水の水位がいくつなのかは、いまだどこからも聞こえてこない。
いまも圧力容器内を冷却するために大量の注水を続けているはずだ。注水量と水位の関係は把握できているのだろうか。水位も計測されていないのだからそれは無理か。

私感だが、圧力容器の底辺付近か、配管のどこかに、地震の揺れかメルトダウンか分からないが、けっこうな穴が開いていると推定している。水位が上がらないらしい事実と、床などからの高濃度汚染水の発生は、それを強く暗示する。その穴の大きさを推定するには、注水量と水位の変化を調べればわかるはずなのだ。

ほんとうに調査はどこまで行ったのだろう。まさか希望的観測に安住してしまい、手を抜いているとは思いたくないのだが。


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